本多孝好「眠りのための暖かな場所」(『FINE DAYS』所収)

「爬虫類がどうして卵を温めないか、お前、知ってるか?」

本多さんの小説はいくつも読んだけれど、少なくともあたしが読んだかぎりでは、全部一人称の視点で語られている。たいていは男性が語り手で、たまには女性も語る。ここでちょっと脱線めいた話を。

語りが一人称か三人称かというのはどうでもいいことだ。というのはつい最近聞いたことで、なんでどうでもいいかというと、ちょっと考えてみれば誰にでもすぐわかると思う。だって、どんな種類の語りだって、究極的には一人の語り手が語っていることになることになるんだから。「彼はこうした」「彼女はそうした」と書いてあっても、結局それは「『彼はこうした』と私は語る」「『彼女はそうした』と私は語る」と言いなおせる。だから一人称や三人称といった語り手の「主語の形」よりも、もっとずっと物語りを考える上で大切なのは、その物語が語られている「点」のようなものがどこにあるのかということ。この語りの点に注目していろんな物語を読み直してみると、いくつも面白いことに気が付く。一番面白いのは、この点はあっちこっちしょっちゅう動くこと。いわゆる一人称物語だって、語り手の視点が語りの点でありつづけるなんてことは、けっこうまれだ。逆に、物語の点がいろんな人物の間を動き回りやすい三人称物語の時に、物語の点が、それこそ禁欲的なまでに一人の人物の肩にカメラよろしく留まりつづけることだってある。

んで、本多さんの小説に戻る。本多さんの小説はほとんどが一人称語りで、もっとちゃんというならば、物語の点はずっと語り手の視点と重なっている。語り手の「僕」や「私」から見た世界が、えんえんと語られている。語られている「だけ」といってもいいかもしれない。なんでこんなに語りの点についてあたしがこだわっているかというと、それは間違いなく、本多さんの小説を読んだり考えたりするときに、語り手の点が語り手に厳格なまでに限定されていることが、語られてる物語世界ときれいに溶け合っていることが理由。

本多さんの小説の語り手はみんな、孤独だ。この孤独を担保するのが、さっきから言っている、語り手の肩に固定された物語の点。この孤独は、家族や友達や恋人がいないという意味での孤独ではなくて、そうたとえて言うならば、ワンンルーム・マンションのような孤独。私は私の部屋にはいる。あなたはあなたの部屋にはいる。私の部屋は私の部屋で、あなたの部屋はあなたの部屋で、だから交錯することは決してないし、まして中がどうなっているのなんて決してわかりはしない。哲学の言葉を使うならば、近代人の孤独といってもいいかもしれない。でも、近代人なるひとが生まれた時代に書かれた小説は、もっとごちゃごちゃだった。物語の点なんて適当だったし、誰の考えなのかわからないものがまぜこぜになって語り手の口から勢い良く流れ出てた。本多さんの小説は、もっとずっと、控えめだ。諦めに近い慎み。どうせ人はわかりえない。だって、私たちはそもそも別の部屋に住んでいるんだから、とかなんとか、そんな諦念。

でも、不思議だよね、語り手たちがそんな諦念を抱くようになったのは、彼ら彼女らが人とのコミュニケーションにおいて決定的な出来事を経験したからだっていうのも。つまりあたしが何がいいたいのかというと、もし本当に最初から完全にまったく百パーセント諦めているのならば、その前にあった「挫折したコミュニケーション」なんてそもそも成立しなかったってこと。諦める、というのは一つのプロセスで、諦める前があって、んで、諦めた後があって、だからひょっとしたら諦めた後のその後もあるかもしれない。だから語り手たちの諦めは本当の諦めなんだろうかと、そんな風にあたしは思ってしまう。うん、きっと本当の諦めではない。だから希望はある。

短編集『FINE DAYS』は四つの恋愛を描いた物語からできている。そのうちの一つ「眠りのための暖かな場所」は、妹の死に責任を感じ、他者=社会との距離感をつかめずにいる大学院生の語り手の「私」と、自分と接することで確実に人を不幸な目に合わせてしまうある「事情」を抱えている大学生・結城との出会いが語られる。出会いだけではなく、その前も、その後も。自分に対して、そして社会につまり他者に対して心を閉ざそうとする結城に向かって、「私」はこう言い放つ。「爬虫類がどうして卵を温めないか、お前、知ってるか?」

別々の部屋に住んでいる限り、人は他者のぬくもりを知らない。自らの体温だけでは寒さをしのげないときには、それこそ、死んじゃうんだと思う。でも、少なくとも部屋は隣り合っている。あきらめの前に、挫折しちゃったけど、でもさコミュニケーションはあったんだし、どんなにワンルームに住んでいると思っていても、やっぱり人は一人じゃない。閉じられたものは開かれうる。卵は温められる。(3年 浅海有理)

FINE DAYS (祥伝社文庫)

FINE DAYS (祥伝社文庫)