パオロ・バチガルピ「ねじまき少女」

本書は2009年度のヒューゴー賞ネビュラ賞という二大SF賞を受賞するという快挙を成し遂げ、おまけにローカス賞やキャンベル記念賞受賞、タイム誌〈今年の十冊〉に選出されるなどまさに『話題作』を絵に描いたような作品である。しかし、日本の読者のあいだでは本書は詐欺SFとして語り継がれるであろう。

なにが詐欺かって、まず裏表紙のあらすじだ。そこにはこう書かれている、


「(前略)アンダースンはある夜、クラブで踊る少女型アンドロイドのエミコに出会う。彼とねじまき少女エミコの出会いは、世界の運命を大きく変えていった」

これを見てわたしは「ほほう、けっこうセカイ系に近そうだな」と思ったのだが、それは早川書房の印象操作にまんまと騙された結果であった。何が詐欺かと言われれば、まず「少女型アンドロイド」という表現自体詐欺だ。実際にはアンドロイドではなくサイボーグと言った方が正しい、また「少女型」なのかも疑問を感じる、日本語における「少女」よりかは少し年配の感じで「お姉さん型サイボーグ」という表現が正しいだろう。そして次の「ねじまき少女との出会いは、世界の運命を大きく変えていった」というセカイ系的文は大きな詐欺だ。作中で、ねじまき少女は確かに大きな事件を引き起こすが、それは世界レベルというほどスケールの大きなものではなく、また、アンダースンとの出会いによって引き起こされているわけではない。こんなあらすじを書いた理由としてはオタク読者に媚びたというものもあるだろうが、この小説の性質という理由もあるだろう、なにしろ一本道のストーリーというものが見当たらない小説なのだ。様々な人々がそれぞれ思い思いに行動して、その行動の因果が他の人に渡っていくということを繰り返した小説なのであり、裏表紙に書けるような一直線のストーリーは存在しない。更にもっと言うと群像劇なためアンダースンが主役なわけではない。

早川書房の詐欺はこれだけに終わらない、なんと、あろうことか、帯にこのような宣伝文句が書かれていたのだ。


ニューロマンサー』以来の衝撃!

グレッグ・イーガンテッド・チャンを超えるリアルなビジョンを提示した新時代のエコSF

これは、あまりにも言いたい放題な広告だ。誇大広告レベルだ。少なくとも、今作はイーガンやチャンのようなベクトルに向いている作品ではない。イーガンやチャンは斬新なSF的アイディアを基にして作品を描くが、今作には基幹となる目新しいSF的アイディアは存在しない。「リアルなビジョン」とも書いてるが、この作品がリアルだとすれば、石油が枯渇した近未来の主要エネルギー源はゼンマイだということになる。それも遺伝子組み換えした象に大型ゼンマイを巻かせて、ゼンマイ列車やゼンマイ車を走らせているのだ。その他のSF設定は旧来の域を出ない、自分が人間でないことを悩むねじまき少女など、SFとして見たら「古いよ!」と叫びたくなる描写も結構ある。

では、SF的には面白くないのに、どうしてこんなに賞を取っているのだろうか? SF要素が少ないから逆にたくさんの人に受け入れられたという理由もあるだろうが、一番の理由は今現代、『問題』とされている問題をたくさん入れているということがあるだろう。一例を挙げると、地球温暖化、遺伝子組み換え生物による環境破壊、穀物企業による生産独占、エネルギー危機、グローバリズムナショナリズムなどの要素だ。ここら辺のことに興味がある人は読んで見たらいいだろう。SF的には面白くなく、エンターテイメントとしてもお世辞にもうまいと言えないが。

評価B (凡作)

(草野)