森見登美彦『太陽の塔』

ああ、恋だなあ。

あたしがあなたを好きになると考えてみよう。そんなことは万に一つも起こらないなんて、即座に否定しないで。だいたい即座に否定しちゃったら、あたしに失礼でしょ。で、あたしはあなたを好きになる。あなたの何が好きだとか、どうやって好きになったかとか、そういう些事はこのさいほっておいていいじゃない。そうと知っていながらズンズンと地雷原を突き進むのが、その人を好きだとか嫌いだとかいうことだと思うし。あたしがあなたを好きになったら、あたしの中であたなのために用意する部分が、どんどんと大きくなっていくのにすぐに気が付く。どうやってもとめられないくらいに、あたしの中のあなたは大きくなっていく。勘違いしないで欲しいのは、あたしはあたしの中にあなたを作るけど、だからといってあなたがまったくのあたしの想像物だとか、そういうことはないってことね。あたしの中に姿をあらわすあなたは、それはもう「あなた」としか呼べないくらいのあなたで、あたしがどんなに想像力を働かせて生み出そうとしてもぜったいに生まれてくることのないような、あなたなのだから。だからあなたはあたしの外にもいる。でも、あたしはあたしの中にもあなたをもっている。「あたしのあなた」とでも言ったらいいのかな。

森見登美彦さんのデビュー作にして日本ファンタジー・ノベル大賞受賞作の『太陽の塔』は、限りなく本人に近い語り手の「私」が、それはもうにょっきりと絶大なる存在感と威厳を持ってそびえたつ太陽の塔のごとき想いの君「水尾さん」を「観察」したけっか、生まれたもの。「私」はしきりに観察という言葉を使い、水尾さんの行動を把握しようとするし、だから物語は水尾さんへの「私」のなかば一方的な想いであふれている。ちょっと気持ちが悪いくらいに。ストーカーってつっこまれてもしょうがないよね。でも、ほんとうに不思議なのは、「私の中の水尾さん」を描いているんだけど、水尾さんはもっとこう、なんていうか、ひょうひょうとして、いつも「私」の中からスルリと抜け出しちゃう。水尾さんが「私」とどんな会話をしたのかなんて、あまりかかれていない。けれど、ちょっとは書かれていて、そのちょっとの部分から水尾さんの姿が、ものすごくよく見えてくる。水尾さんがどんな子なのかよくわかるし、「私」が水尾さんのことをとてもとても好きなことも、またよくわかる。とてもいいお話。

ああ、恋だなあ。(2年 浅海有理)

太陽の塔

太陽の塔