米澤穂信『さよなら妖精』(創元推理文庫)

米澤穂信さんの代表作『さよなら妖精』は、創元推理文庫で買える。ラノベにはちょっと距離を感じるけど、ミステリ仕立ての青春小説を読んでみたいという人にはうってつけ、と言われていたのであたしも手を伸ばしてみた。この物語は一応、ミステリなんだと思う。「いちおう」といちおうつけてみたのは、あたしは熱心なミステリ読みではないし、ミステリのジャンル論をまくし立てるつもりもないからで、とりあえず保留をつけておけばどうにでもいいなおせると思ったから。創元の「推理文庫」に収録されているけど、なんか一般にミステリという単語がそれとなく意味するようなミステリにはぴたっと当てはまらないような、あそびというかずれのようなものをもっている気がする。ただどんな意見があったところで、あたしは、主人公で語り手の守屋路行とその友人たちが、ひょんなことで出会ったマーヤという一人の外国の少女から出される「問い」を一生懸命考える姿が、まぎれもない「推理」なんだと理解したから、それだけでこの物語をミステリや推理小説(あー、だいたい、あたしはこの二つの違いがよくわからない。そんなものがあるとしてだけど)なんだと理解したの。そうでなきゃ、理解したいの。なんというか、ミステリの文法や約束事からずれているからといってぶーすか文句をいいたがる人に向かって、いちおう「いちおう」なんて言葉をくっつけたのかもしれない。

ちょっと言い訳がましくなったのは、この物語はユーゴスラビアからやってきたマーヤさんが投げかける「哲学的意味はありますか」という問いを中心に進んでいくから。密室で人が死ぬ、なんていう不自然極まりないことが起こっちゃう、ことが自然であるとすら考えられちゃうミステリ独特の空間とは、ちょこっと違う場所で、物語は一人の少年・守屋君の目を通じて語られる。春の長雨が降るある日、高校生・守屋君はクラスメイトの太刀洗万智さんと一緒に帰っていたら、傘ももたずに途方にくれている少女マーヤさんと出会う。マーヤさんはユーゴスラビア出身。でも、日本語は堪能。ちょっと会話の中での単語の選びかたが不自然なところがあるけど、それもまた愛嬌。マーヤさんはある目的をもって日本にやってきた。マーヤさんはちゃんと泊まるところを確認してからやってきたけれど、それでも急な事情で、新しく泊まるところを探さなければならず、困っていた。そんなところに通りかかったのが、守屋君と太刀洗さんだったのだ。守屋君たちのおかげで日本に滞在する間の宿を確保することができたマーヤは、その後、時間が許す限り守屋君たちといっしょに時を過ごし、どんどんと日本を吸収していく。

そんな彼女は何度も何度も「哲学的理由はありますか」と守屋君たちに尋ねる。マーヤさんの言葉の選びかたはちょっと不自然かも。彼女が聞いているのは「哲学的」というのにはちょっと大げさな、日々の生活に息づく素朴な発想(そのくせに、考え出すとやたら面白い)のことだから。雨のなか傘をささずに手にもって小走りに急ぐ男の人のこと。お墓に飾ってあった「めでたい」紅白饅頭のこと。ぼんやりと生きていると自然の中に溶け込んでしまっていて、うっかり見落としてしまうような「日常の不思議」について、マーヤさんは「なぜ?」っていう素朴な言葉を、そう、とても素朴に発することができる。ちょっとというか、かなり新鮮。それは彼女が日本では「外国人」なのかもしんないけど、でも、最後まで読めばきっとわかると思うけど、マーヤさんが哲学的理由を求めるまさにその哲学的理由っていうのが、この物語の中にはちゃんとある。その理由を、あたしはなんとも大切なものとして、物語と一緒に、この本の中にしまいこんでおきたい。彼女が日本語に堪能なユーゴスラビアからの留学生っていうのも、ちょっと考えれば密室殺人並みに不自然なことかもしれない。けど、でも、その不自然さっていうのがあってはじめて哲学的理由を求める彼女のこの姿が意味をまとって見えてくる。うーん、こういう言い方をしちゃうと、『さよなら妖精』がまぎれもないミステリに思えてくるから不思議だ。だからやっぱりそうなのかな。

米澤さんの青春のミステリは、創元推理文庫で買える。(3年 浅海有理)

さよなら妖精 (ミステリ・フロンティア)

さよなら妖精 (ミステリ・フロンティア)