西川魯介『屈折リーベ』

あたしはメガネをかけていないからか、メガネっ娘にはちょっと憧れていたりする。でも最近のメガネ・ブームはちょっとどころかかなり間違ってると思う。美男美女がメガネをかけただけじゃん、と誰かが突っ込んでいたのを思い出す。メガネをかけた人を好きになると、そこにはきっと好きになったあの人がメガネでなければならない深い理由があるんじゃないかと信じたくなっちゃう瞬間がある。例えば、西川魯介さんの『屈折リーベ』を読んだすぐ後とか。

メガネっ娘の大滝篠奈(おおたき・すずな)先輩に秋保宣利(あきう・のぶとし)少年が、「好きです!」と大胆にも告白するシーンから始まるこのマンガ、ほとんど全編に秋保少年のメガネおよびメガネっ娘に対する熱い想いで満ち溢れていて、ビックリする。だいたい秋保少年が篠奈先輩を好きになった理由も、彼女がメガネっ娘だという理由だし。んでもって、さらにはメガネをかけた女の子にしか興味がないと言い切って、同じクラスの女子・唐臼(からうす)さんが迫ってきても、彼女がメガネっ娘でないという理由だけで相手にしない。秋保少年は筋が通っている。見ていてすがすがしいくらいに、ほんっと微に入り細を穿ったメガネ哲学を持っている。

でも、篠奈先輩はあたりまえのことを悩み出す。メガネをとったあたしを秋保少年は好きでいてくれるだろうかって。なんともメガネっ娘らしい悩みで、あたしも一度くらい、そんなことに頭を悩ましてみたいかも。思春期ってやつです。秋保少年のレトリックはさすがに長けてて、「目は心の窓」を拡張して、メガネも心の窓だっ! と力説しちゃったりする。でもやっぱり、バカなことばっかり言う秋保少年をガンガンどついたりする篠奈先輩もナイーブなところがあって、自分は秋保少年のことが気になるけど、むこうはこっちが思ってるほど自分のことを見てくれていないんじゃないか。むこうが見ているのは私のメガネだけなんじゃないか、なんて思ったりする。そしてとうとう、篠奈先輩はメガネを外す。

もうダメかもしれないでもなんとかしたいと思った秋保少年は、篠奈先輩のもとに走っていく。だって彼は気が付いたから。自分はメガネっ娘が好きなんじゃなくて、篠奈先輩が好きだってことに。好きになった子がたまたまメガネっ娘だっただけだっていうことに。ん? さっきあたしは昨今のメガネ・ブームは好きな人にメガネをかけただけだからけしからん、みたいなことを言っていなかったって? 違うんだなぁ、微妙に。そしてこの微妙さが、とても大切で、とてもデリケートで、だから西川魯介さんは、メガネっ娘の恋を描くのにマンガ1冊を費やしたんだと思う。

つまり、メガネっ娘が好きなんじゃなくて、好きになった人がたまたまメガネをかけていただけなんだけど、でもその人のメガネは本当に似合っていて、それはきっと「メガネっ娘」なんて一般的な言い方で呼んでしまうことがもったいないくらいに素敵だってこと。もちろんメガネをやめてコンタクトにすることもできるけどさ、そして実際にそうしたところでその人の魅力が減るわけでもないんだけどさ、でもきっとその人がかけるメガネはその人と同じようにかっこいいんだと思う。それだけ取り出してみるとどっからみてもただのメガネなんだけどね。誰もかけていないときは単なるレンズとフレームからなる「モノ」が、好きになった人の魅力で、好きな人の一部になって、好きなモノになって、もうそれがないと好きな人が好きな人じゃないみたいに思っちゃうくらいの勢いで迫ってくるのが、メガネっ子(娘も男子も)のメガネなんじゃないのかな。

西川魯介さんは、実に丁寧に、メガネとメガネっ娘(と彼女を恋する少年)の機微を描いていると思う。 (3年 浅海有理)

屈折リーベ (ジェッツコミックス)

屈折リーベ (ジェッツコミックス)